2021年02月11日

社会人の責任とは

よく学生気分が抜けてないと、会社に入ったばかりの時は言われることが多いと言います。かくいう私も入職した頃は、舐められまいと躍起になって仕事をこなしていましたが、自分のキャパシティを越えて仕事を引き受け、最終的に全てが中途半端に終わる結果になってしまった経験があります。それらの結果をみた先輩に「まだまだ学生気分が抜けていないね」と言われてしまい、私の中で社会人の責任ということをもう一度見つめ直すきっかけになりました。

社会人になり、学生とは異なり賃金を得る立場になります。今までは、自分が怠けようが何をしようが基本的には自己責任となり、親をのぞいて誰も自分を責める人はいません。しかし、社会人になるとそうも言ってられません。

例えば、会社に所属する人は、基本的に作業を全て自分が担当することはあり得ません。それぞれがチームを組み、各作業を分担し、各分野で最大の成果をあげることが求められます。作業を完遂させるまでは、チーム全員が一致団結し全力で取り組む必要があります。そこで怠ける人がいたとしましょう。彼自身は自分がしたくないから作業を行っていないのでしょうが、巻き込まれる周りとしてはたまったものではありません。作業を任され、それに見合った賃金を得るためには結果で返すしかありません。当然のことながら、怠けている彼を放っておかず、時には叱咤してなんとか働かせるでしょう。

彼に社会の責任感が欠落していることは明らかですが、周りのカバーのおかげで彼も社会人としてはまだ成り立っています。
しかし、この例を考えると、私は彼のように怠けていたわけでもないし、むしろ他の人よりも長時間働いて、周りの人たちの仕事すら請負っていました。では、なぜ私は「学生の気分が抜けていないね」と言われてしまったのでしょうか。それは、決して複雑なものではなく至ってシンプルなことでした。私は”結果”を出せなかったのです。Aというタスクを請負った時、いくら長時間働こうが何しようが相手が満足のいく結果を出せなければそれは、それは働かなかったことと同義です。
つまり、自分のキャパシティーを超えた仕事量を持って、全てが中途半端になってしまった私は、前述した仕事をしていない彼と同じ評価になり、つまりは社会人としての責任を果たしていないのです。
学生時分は、努力も評価され、結果よりもその姿勢を重視することがあります。それは、間違いなくそうあってしかるべきですし、事実、私も教え子にはその姿勢を求めます。しかし、社会人になり、賃金を得る立場になったらそれは必要最低限の要素になり、努力だけでなくそれに付随する”結果”も必要になります。自分なりに頑張った、だからこの作業はこれでよしとしようでは、責任を果たしたことにはなりません。相手の要望を汲み、それに応じた”結果”をだすことが、つまり今回のテーマである社会人の責任を果たすということに他なりません。  


Posted by 松井の遺伝子 at 18:34Comments(0)